宗教のこと

ま、大上段に振りかぶるつもりもないし、知識もない。たいした活動家ではなかったし、中枢で何が起こっていたのかは知らない。末端にいて、それなりの景色がみえて、それをそのまま振り返ってみた。
 250数ヶ寺を本山に寄進することになったと言い出した。それまでは金取り宗教じゃないことが売りだった。5ヶ年計画で資金を集めるので、ご供養をおねがいします。ま、スタートはそんなかんじだった。しばらくすると、かなり、不便なところに、一戸建てに毛のはえたような寺院が建った。5年間の期間がすぎてさらに360数ヶ寺にふやすので、あと5年延長します。御供養しましょう。活動家は一人最低でも10万しましょう。1日コーヒー1杯分300円ですもん。といい始めた。お願いではなく。功徳があるからということで、会合などでは、わたしは300万御供養してこんな功徳がありました。私は1000万して・・・。と、景気のいい体験談をきかせてあおりだした。ある壮年が、「決算報告みたいなのはないんですか?」と質問すると、「御供養というのは信心のまごころでさせていただくんです。受け取った側の使い方を如何こう言うべきではありません。私利私欲のために使えばその人には仏罰がくだります。あんたは、信心がない。」と、当時の地区婦人部長(H氏)に叱りとばされていた。それまでは、「この宗教は、常識のなかの常識です。」といっていたのにである。どういう訳か、その後寺院の寄進は一向にすすまず、会館やら文化会館ができ、受ける筈の宗門と仲違い。S会って宗門の外護の団体だった筈なんだが・・・。凡夫の中の代凡夫であることを誇りにし、信徒としての誉れ以外、世間の名利名聞を追い求めないはずが、名誉博士・名誉市民。新しい宗教を根底にした「第三文明」をおこすはずが、よその国の過去の美術品を買い集め。目覚めた民衆による真の民主主義といっていたはずが、よその国の独裁者を賛美した。 資金の集まったときが、チャンスだったはずだ。理想の実現をめざせたはずだ。わたしも御供養した。そのとき思い描いていたのは、かつて川越に棲んでいたときに見た寺院のありようだった。古いお寺の境内には誰でも自由に入ることが出来て、樹木の繁った庭には、魚が泳ぎ、和やかに語らう老人がベンチにいて、小さな売店におばさんがいて、日常生活にそった法話の貼り紙があって。かつて、お寺さんとよばれて地域の人々の依怙依託となっていた寺院の姿を彷彿とさせるような・・・。コンクリートで固めた要塞のような建物でなく、フォートレスは民衆の心の中に築くんじゃなかったっけ。環境にも配慮し宗門とS会が、同じ敷地の中に共存し、地域にも溶け込める現代のオアシスをつくろうとおもえばつくれるチャンスだったのでは?建築は、総合芸術だから、新進気鋭の建築家・芸術家を育てる契機ともなっただろうに。
 今回、衆議院選挙に負けたあとの本部幹部会では、ひさしぶりに戸田前会長の言葉を引用していた。写真でしかしらないが、牛乳瓶の底のような眼鏡、白いカッターシャツ姿。初代会長の墓前に額ずいて、自分の間違いを詫びるエピソードが好きだ。