なるほど

読みました。
 「戦後史の正体」(創元社 孫崎さんの)えらく読みづらかった。これまでの思い込みが ひっくり返されるのって大変。高校生でも読める・・・確かに文章は平易なんだけど。今の屈辱的な対米従属は、今に始まったものじゃなく、自主路線を歩もうとする気概のある政治家が出てくる度、内から外から倒され、従属を選んだ者だけが長期政権をゆるされて 今日にいたっているんだね。詳しい内容・具体的な名前 是非 本で読んで心に刻むべきだ。こういう本こそ教科書であって欲しい。
 むかし、親世代が戦争に駆り立てられ、「欲しがりません勝つまでは」とか「一億火の玉」「銃後の守り」「日本は皇統連綿神国であるから負けることはない」末期には「一人一殺」といって竹槍で上陸してきた敵を殺せと訓練されたとか、なんとあほらしいプロパガンダに のせられてと笑ったけれど、自分もすっかり騙されていたのだと 思い知らされた。政治家に対する工作だけではなく 占領軍は用意周到に 経済界にも 学会にも 官界・ジャーナリズム界にも手をのばしている。逆らえば追放 すり寄れば大きな経済的利益。驚いたのは昭和天皇が単なる象徴ではなかったことだ。マッカーサーとの百回を超す会談・彼への親書で、駐留軍が 日本に半永久的に留まること・沖縄その他琉球諸島の軍事占領の継続を希望する旨伝えている。
 なんと終戦三日目に内務省警備局長は 占領軍の慰安施設の慰安婦を募集、1360名で 大森で開業している。
 東京地検特捜部は、1947年 占領下でGHQのために働く捜査機関として発足。隠匿退蔵物資事件特捜部が前身。米国にとって好ましからざる政治家を 汚職関連事件の摘発と称して失脚させている。(芦田均田中角栄竹下登橋本龍太郎小沢一郎)。過去の特捜部長のなかで布施健(ゾルゲ事件(対米戦回避を模索していた近衛内閣を崩壊させた)下山事件国鉄総裁轢死ロッキード事件に関わった。)特捜部エリートの米国と繋がりの深い人達・・・堀田力、佐久間達哉。覚えておこう。
 8月15日 終戦記念日 っていうの自体 軍部の誤魔化しなんだね。屈辱の1945年9月2日、ミズーリ号上の 降伏文書書名の日こそ 終戦の日と呼ぶにふさわしい。
 日本で原子力開発が始まったのは、第五福竜丸の被ばくをきっかけに日本人が、反米・反原子力に向かうのを阻止するため。中曽根康弘正力松太郎が積極的に推進。なんときっかけは正力の懐刀・柴田秀利の「毒を以て毒を制す」発言で 原子力平和利用使節団が派遣され読売新聞紙上でぶちあげたそうな。
 重光葵 石橋湛山 芦田均 鳩山一郎 岸信介 鈴木善幸 真逆の意味で記憶に留めたい。
 維新の会 どういうつもりのネーミングなのか。明治維新って決して理想的な展開をしたわけじゃない。外国の介入で 兵器を持たされ内乱 それなりの愛国心も構想力もあった多くの人達(西郷隆盛江藤新平土方歳三etc)は殺されている。公家も武士も どちらかというと傍流の 不満分子に 力添え いやらしい下剋上があって・・・。
 重光葵が 決死の覚悟で 覆させた 当初米軍が予定してしていた三布告は
「日本を米軍の軍事管理の下に置き 公用語を英語とする」「米軍に対する違反は軍事裁判で処分する」「通貨を米軍の軍票とする」だった。
 60年安保は、岸信介をひきずり下ろさんがため、70年安保は佐藤栄作。いまおもえばなんて馬鹿だったんだろう、あのヘルメット あの角材 必要なしのジグザグデモイラク派兵反対デモは ころっと雰囲気代わり マスコミはほぼ黙殺だった。金管デモも。
 うらやましいのは 1965年カナダのピアソン首相が ベトナム戦争を批判 ジョンソン大統領につるしあげられたが 「たとえ弾圧を受けようと、米国に物を言うべき時はいう」理念は首相がかわってもうけつがれ カナダ外務省ビルは「ピアソン・ビル」呼ばれ 03年のイラク戦争にも最後まで参加していない。