前回のつづき

 感情的になって、対抗意識で 面子を守ろうとして、きくべき助言も批判も耳に入らず、きくべきでない扇情的な言葉にのせられて即行動するのは後悔のもと。徐佐のスタンスは望ましいが、誰にでもできる事ではない。ボトムスの黒人リンチの場面・中隊などでの批判大会の場面 直面したわけではないが戦中の非国民叩き 「贅沢は敵だ」と若い娘の振袖を切ったり 自分に批判的な眼をむけていると判断した兵士に対する見せしめ的な残虐行為 人間性に対する犯罪行為だろう 他国民の人権を無視し 平和な日常生活を破壊し 独自の文化を認めない 戦争は悪としか思えない 普通あたりまえの人間ではできない。(あっつ、イラク人質事件のバッシングは同じ匂いがしたっけ。)林鵠は自分自身と真摯に向き合いくじけない、自分の欠点も・弱点も正直に認めて尚且つ折れない、書き続けた日記・上申書をまとめ 事実をして語らしめている。なにより共感を呼ぶ所以だ。草原を破壊するということは草原の生活をはかいするということ。自然遺産・世界遺産で後から保護してもらってもなあ。私はシートンの本では「二人の小さな野蛮人」が すきだ。彼は動物に対してだけではないインディアンの生活文化をもいとおしんでいる。サンクスギビングデイの起原を見ても解るように困窮した白人移民にたいしてとても人間的な対応をしてくれたことが分かる。どうなんだ。バッファロウーを絶滅寸前まで追い込みインディアンの生活を破壊。文明的に遅れてるのか? 死滅して当然なのか? 福沢諭吉が言ったように「脱亜入欧」なんてしたいのか できるのか?
 憲法を改正?戦争できる国に…と危惧する映画などが 相次いでいる。その物言いは 穏やかだ。人権。人々の平和な暮らし。よそのうちに土足で踏み込むような(武器を持って)そんなこと。だれのため?なんのため?戦意高揚なんかされないでくれ。命を軽々しく投げ出さないでくれ!