読みました②

 たまたま「神なるオオカミ」(姜戎著)を読み、同じ文革下放青年 場所もモンゴルと思い「老鬼」(馬波著)を読んだ。こちらは天安門事件の時 民主化を叫ぶ青年たちに支持され 作者は後に 米国に亡命。 
 「神なるオオカミ」は下放青年陳陣が 古老ピリグに モンゴルのオオカミを神とあがめ、死んだときは死体をオオカミに喰ってもらう 昔ながらの暮らしを教わる。自分たちが放牧する草原が 生き物たち(ノネズミ・タルバガン・黄羊・オオカミ・人間・犬・馬)がみごとにバランスをたもつことで保持されていること、頂点にあるオオカミの戦略・知恵・誇りの高さ・美しさに魅せられ ピリグの制止をきかず 子オオカミをとらえ飼育しようとする。頑丈な鎖に繋ぎ 噛まれた後は牙を折り 最後は野に放つこともできず 人間に決して飼いならされず 牽かれることに抵抗したオオカミを殺すことになる。皮を剥いで竿にはためかせ陳陣は感傷に浸るのだが、残酷このうえない。そのうえ、中央からはオオカミは人民の敵だから殺せなどと指示がきたり。事情に詳しくない欲に駆られた人間が オオカミの保存食となる筈だった黄羊の死体を根こそぎとりつくし 火薬を仕掛けてタルバガンを巣穴ごと殺し うつくしい白鳥を殺し オオカミをジープとライフルで追いかけまわして殺し・・・ 食用に・売って金に・幹部に贈って歓心を買うetc.。後に残るのは 砂漠と化した土地。陳陣は 遊牧民のオオカミに学んだ知恵が 勇壮なモンゴル兵を生み耕作民族に少なからぬ影響を与えてきたのではなどと考察するんだけど。
 「老鬼」は北京の高級中学の4人が 文革に刺激され 自ら望んで書類を偽造してまでモンゴルへ。主人公林鵠は 純粋ではあるものの 水滸伝素手で虎を殺した武松にあこがれる力自慢でカッとなりやすい奴。モンゴルに着いて最初のエピソード。仲間の雷夏が社説を読み「ここでは文革後ようやく階級区分がされたが牧畜主の財産はまだ捜査をうけておらず敵と味方の区別がついていない」といったのにのせられて、徐佐の「もっと状況を分析しろ」との言をしりぞけ、牧畜主ゴンゴロの家宅捜索をする。反動的な手紙もなく金銀財宝もなく 土足で踏み荒らし 皮の布団や毛皮のドロ チーズ一包を没収、ほえる犬を殺そうとしてゴンゴロの抵抗にあう(「神なる・・」でわかるが、遊牧民の犬は単なるペットではない。家族と羊を守り いざとなれば共に闘うかけがえのない同志だ。)ゴンゴロを棍棒で力任せに殴って たすけにはいった姫おやじにスコップで殴られる。この間に雷夏は犬を殺す。姫おやじから奪い取ったスコップで襲いかかったところを徐佐がしがみついてとめる。押収した物を守ろうとひとり番を買って出て 寂しさに犬を飼う。かわいがるのだが この犬 子羊を十数匹噛み殺し 殺せと言われるが「弁償すればいいだろ」という林鵠に「長年の牧畜区のきまりを尊重しろ」といって徐佐が殺す。徐佐は軍代表に「こんな摘発では60%以上の牧畜民が審査対象になってしまうと抗議 半日牢に。
 腕っ節自慢の目上の退役兵と組み合ってさんざん投げて打ち負かしたはいいが、相手は馬車分隊の隊長 陰険な報復をうける。没収した財産が数人の退役兵に私物化されたと訴えたり。この主人公 頭に血が昇りやすくどこまでも直球勝負。彼ら学生たちを監督する 指導員や調査官に憎まれ 正直に自分の性衝動についてまで書いていた日記を読まれ 私信を読まれ 友人にも揺さぶりをかけ離間させ 情報を 拷問も加え白状させ 反革命分子・階級敵にされてしまう。肉体的苦痛に加え屈辱的なことに「批判闘争大会」をかわきりに一週間各中隊をひきまわされ見せしめにされた。その後も過酷な現場から過酷な現場へ 石の切り出し 木の切り出し 体力の限り働き 名誉回復を願って 上申書を書くが 注意をうけるばかり。母親から縁切り状まで受け取る。副主席林彪の失脚(逃亡を企てるも事故死)にも事態は好転せず。
 徐佐は林彪の息子と碁で交流が有ったというだけで 中央の林彪一派の粛正に 倣おうとする指導部の連中に投獄され激しい拷問にあう 拷問した牢番たちは 罪を認めない者を厳しく処分するとした党の政策に一致した行為だと信じていたようだ。徐佐は屈する事が無かったが故に。体をこわし一時北京に帰った徐佐は 林鵠の母親を説得し その尽力で林鵠は名誉回復はならないもののゆるされる。学生たちは北京に帰る許可を出してもらおう、党員に推挙してもらおうとゴマをすったり贈り物をしたり、女子学生の中には身体を投げ出す者も。鞄一つで来た幹部が草原を去る時はトラックに積みきれないほどの荷物。草原の火災に際し 多くの学生を風下から消火に当たらせようとして殺してしまった幹部も お咎めなしどころか英雄的消火と表彰され栄転してゆく。食糧の横流し等もする。所詮人間のする事。人々の不幸は 社会制度・経済体制を変えただけでどうにかなると思えない。
 主人公が一方的に思い焦がれる娘の姉 韋小凌の日記「これが階級闘争か、一部の幹部は自分にとっての良し悪しで革命的か反革命的かを決めており こういう人々の権力の大きさ 数千人・数万人の命が預けられている。」
 徐佐「党の機関紙(人民日報)は生産隊には貯えがあり  各家庭に食糧が余っているというが 陝北の農民はトウモロコシのマントウさえ口にできず毎日粥を啜っているし、内モンゴルでは石鹸もマッチも干し麺も買えない なぜ実情を正直に言わないのか。」
 やがて 新しい責任者が決まり「今日まで草原を畑に変えてきたが 生態系をくずし砂漠化を進めてしまった。現在の半農半牧から牧畜専業の体制に変更する。」との通達で方針転換。内モンゴルの兵団には10万人の学生と6つの機械化師団の数千台の車・トラクターで 数百万ムーの畑を開墾 数十万立方の石を切り出し 夥しい数の木を切り倒し。 粗食に耐え死ぬほど頑張った結果 史上最大の草原破壊の加害者になったのかと徐佐を嘆かせる。
 当時 日本では批判的なことは報道されなかったが 文革自体 裏には 中央の権力争いがからんでいたようだ。
 石切り場で 重い下痢に苦しむ林鵠を 牛車で中隊まで運んでくれたのは あの最初に痛めつけたゴンゴロだったし、巻き添えを惧れた仲間からそっぽを向かれていた時 危難を助けてくれたのは姫おやじ。人間的な対応をしてくれた。自分達はたらふく食いながら 頑張ってくれた馬に餌を乞う主人公に 拒絶する幹部たちとは対照的だ。
 「人民に奉仕する」本来の理想どうりならば 私利私欲にはしり保身を旨とし恣意的に選んで内部の敵をでっちあげ痛めつけ見せしめにして恐怖で押さえつけるようなことは ありえないのだが。
 ジョー・R・ランズデールの本(ボトムス、アイスマンダークライン、サンセット・ヒート)ま、ボトムスが一番お勧めだけど。相手が黒人・女性・子供・障害者であろうと、誠実に人間としての対応ができるかどうか。ルディ・ガウスブルック「西欧の植民地主義と日本」でオランダ領東インド抑留所シンドロームについて書いている。1991年海部俊樹首相が犠牲者の碑に捧げた花輪が「無類の偽善のしぐさ」と報じられ海に捨てられたと。