前回のつづき

 感情的になって、対抗意識で 面子を守ろうとして、きくべき助言も批判も耳に入らず、きくべきでない扇情的な言葉にのせられて即行動するのは後悔のもと。徐佐のスタンスは望ましいが、誰にでもできる事ではない。ボトムスの黒人リンチの場面・中隊などでの批判大会の場面 直面したわけではないが戦中の非国民叩き 「贅沢は敵だ」と若い娘の振袖を切ったり 自分に批判的な眼をむけていると判断した兵士に対する見せしめ的な残虐行為 人間性に対する犯罪行為だろう 他国民の人権を無視し 平和な日常生活を破壊し 独自の文化を認めない 戦争は悪としか思えない 普通あたりまえの人間ではできない。(あっつ、イラク人質事件のバッシングは同じ匂いがしたっけ。)林鵠は自分自身と真摯に向き合いくじけない、自分の欠点も・弱点も正直に認めて尚且つ折れない、書き続けた日記・上申書をまとめ 事実をして語らしめている。なにより共感を呼ぶ所以だ。草原を破壊するということは草原の生活をはかいするということ。自然遺産・世界遺産で後から保護してもらってもなあ。私はシートンの本では「二人の小さな野蛮人」が すきだ。彼は動物に対してだけではないインディアンの生活文化をもいとおしんでいる。サンクスギビングデイの起原を見ても解るように困窮した白人移民にたいしてとても人間的な対応をしてくれたことが分かる。どうなんだ。バッファロウーを絶滅寸前まで追い込みインディアンの生活を破壊。文明的に遅れてるのか? 死滅して当然なのか? 福沢諭吉が言ったように「脱亜入欧」なんてしたいのか できるのか?
 憲法を改正?戦争できる国に…と危惧する映画などが 相次いでいる。その物言いは 穏やかだ。人権。人々の平和な暮らし。よそのうちに土足で踏み込むような(武器を持って)そんなこと。だれのため?なんのため?戦意高揚なんかされないでくれ。命を軽々しく投げ出さないでくれ!

読みました②

 たまたま「神なるオオカミ」(姜戎著)を読み、同じ文革下放青年 場所もモンゴルと思い「老鬼」(馬波著)を読んだ。こちらは天安門事件の時 民主化を叫ぶ青年たちに支持され 作者は後に 米国に亡命。 
 「神なるオオカミ」は下放青年陳陣が 古老ピリグに モンゴルのオオカミを神とあがめ、死んだときは死体をオオカミに喰ってもらう 昔ながらの暮らしを教わる。自分たちが放牧する草原が 生き物たち(ノネズミ・タルバガン・黄羊・オオカミ・人間・犬・馬)がみごとにバランスをたもつことで保持されていること、頂点にあるオオカミの戦略・知恵・誇りの高さ・美しさに魅せられ ピリグの制止をきかず 子オオカミをとらえ飼育しようとする。頑丈な鎖に繋ぎ 噛まれた後は牙を折り 最後は野に放つこともできず 人間に決して飼いならされず 牽かれることに抵抗したオオカミを殺すことになる。皮を剥いで竿にはためかせ陳陣は感傷に浸るのだが、残酷このうえない。そのうえ、中央からはオオカミは人民の敵だから殺せなどと指示がきたり。事情に詳しくない欲に駆られた人間が オオカミの保存食となる筈だった黄羊の死体を根こそぎとりつくし 火薬を仕掛けてタルバガンを巣穴ごと殺し うつくしい白鳥を殺し オオカミをジープとライフルで追いかけまわして殺し・・・ 食用に・売って金に・幹部に贈って歓心を買うetc.。後に残るのは 砂漠と化した土地。陳陣は 遊牧民のオオカミに学んだ知恵が 勇壮なモンゴル兵を生み耕作民族に少なからぬ影響を与えてきたのではなどと考察するんだけど。
 「老鬼」は北京の高級中学の4人が 文革に刺激され 自ら望んで書類を偽造してまでモンゴルへ。主人公林鵠は 純粋ではあるものの 水滸伝素手で虎を殺した武松にあこがれる力自慢でカッとなりやすい奴。モンゴルに着いて最初のエピソード。仲間の雷夏が社説を読み「ここでは文革後ようやく階級区分がされたが牧畜主の財産はまだ捜査をうけておらず敵と味方の区別がついていない」といったのにのせられて、徐佐の「もっと状況を分析しろ」との言をしりぞけ、牧畜主ゴンゴロの家宅捜索をする。反動的な手紙もなく金銀財宝もなく 土足で踏み荒らし 皮の布団や毛皮のドロ チーズ一包を没収、ほえる犬を殺そうとしてゴンゴロの抵抗にあう(「神なる・・」でわかるが、遊牧民の犬は単なるペットではない。家族と羊を守り いざとなれば共に闘うかけがえのない同志だ。)ゴンゴロを棍棒で力任せに殴って たすけにはいった姫おやじにスコップで殴られる。この間に雷夏は犬を殺す。姫おやじから奪い取ったスコップで襲いかかったところを徐佐がしがみついてとめる。押収した物を守ろうとひとり番を買って出て 寂しさに犬を飼う。かわいがるのだが この犬 子羊を十数匹噛み殺し 殺せと言われるが「弁償すればいいだろ」という林鵠に「長年の牧畜区のきまりを尊重しろ」といって徐佐が殺す。徐佐は軍代表に「こんな摘発では60%以上の牧畜民が審査対象になってしまうと抗議 半日牢に。
 腕っ節自慢の目上の退役兵と組み合ってさんざん投げて打ち負かしたはいいが、相手は馬車分隊の隊長 陰険な報復をうける。没収した財産が数人の退役兵に私物化されたと訴えたり。この主人公 頭に血が昇りやすくどこまでも直球勝負。彼ら学生たちを監督する 指導員や調査官に憎まれ 正直に自分の性衝動についてまで書いていた日記を読まれ 私信を読まれ 友人にも揺さぶりをかけ離間させ 情報を 拷問も加え白状させ 反革命分子・階級敵にされてしまう。肉体的苦痛に加え屈辱的なことに「批判闘争大会」をかわきりに一週間各中隊をひきまわされ見せしめにされた。その後も過酷な現場から過酷な現場へ 石の切り出し 木の切り出し 体力の限り働き 名誉回復を願って 上申書を書くが 注意をうけるばかり。母親から縁切り状まで受け取る。副主席林彪の失脚(逃亡を企てるも事故死)にも事態は好転せず。
 徐佐は林彪の息子と碁で交流が有ったというだけで 中央の林彪一派の粛正に 倣おうとする指導部の連中に投獄され激しい拷問にあう 拷問した牢番たちは 罪を認めない者を厳しく処分するとした党の政策に一致した行為だと信じていたようだ。徐佐は屈する事が無かったが故に。体をこわし一時北京に帰った徐佐は 林鵠の母親を説得し その尽力で林鵠は名誉回復はならないもののゆるされる。学生たちは北京に帰る許可を出してもらおう、党員に推挙してもらおうとゴマをすったり贈り物をしたり、女子学生の中には身体を投げ出す者も。鞄一つで来た幹部が草原を去る時はトラックに積みきれないほどの荷物。草原の火災に際し 多くの学生を風下から消火に当たらせようとして殺してしまった幹部も お咎めなしどころか英雄的消火と表彰され栄転してゆく。食糧の横流し等もする。所詮人間のする事。人々の不幸は 社会制度・経済体制を変えただけでどうにかなると思えない。
 主人公が一方的に思い焦がれる娘の姉 韋小凌の日記「これが階級闘争か、一部の幹部は自分にとっての良し悪しで革命的か反革命的かを決めており こういう人々の権力の大きさ 数千人・数万人の命が預けられている。」
 徐佐「党の機関紙(人民日報)は生産隊には貯えがあり  各家庭に食糧が余っているというが 陝北の農民はトウモロコシのマントウさえ口にできず毎日粥を啜っているし、内モンゴルでは石鹸もマッチも干し麺も買えない なぜ実情を正直に言わないのか。」
 やがて 新しい責任者が決まり「今日まで草原を畑に変えてきたが 生態系をくずし砂漠化を進めてしまった。現在の半農半牧から牧畜専業の体制に変更する。」との通達で方針転換。内モンゴルの兵団には10万人の学生と6つの機械化師団の数千台の車・トラクターで 数百万ムーの畑を開墾 数十万立方の石を切り出し 夥しい数の木を切り倒し。 粗食に耐え死ぬほど頑張った結果 史上最大の草原破壊の加害者になったのかと徐佐を嘆かせる。
 当時 日本では批判的なことは報道されなかったが 文革自体 裏には 中央の権力争いがからんでいたようだ。
 石切り場で 重い下痢に苦しむ林鵠を 牛車で中隊まで運んでくれたのは あの最初に痛めつけたゴンゴロだったし、巻き添えを惧れた仲間からそっぽを向かれていた時 危難を助けてくれたのは姫おやじ。人間的な対応をしてくれた。自分達はたらふく食いながら 頑張ってくれた馬に餌を乞う主人公に 拒絶する幹部たちとは対照的だ。
 「人民に奉仕する」本来の理想どうりならば 私利私欲にはしり保身を旨とし恣意的に選んで内部の敵をでっちあげ痛めつけ見せしめにして恐怖で押さえつけるようなことは ありえないのだが。
 ジョー・R・ランズデールの本(ボトムス、アイスマンダークライン、サンセット・ヒート)ま、ボトムスが一番お勧めだけど。相手が黒人・女性・子供・障害者であろうと、誠実に人間としての対応ができるかどうか。ルディ・ガウスブルック「西欧の植民地主義と日本」でオランダ領東インド抑留所シンドロームについて書いている。1991年海部俊樹首相が犠牲者の碑に捧げた花輪が「無類の偽善のしぐさ」と報じられ海に捨てられたと。  

なるほど

読みました。
 「戦後史の正体」(創元社 孫崎さんの)えらく読みづらかった。これまでの思い込みが ひっくり返されるのって大変。高校生でも読める・・・確かに文章は平易なんだけど。今の屈辱的な対米従属は、今に始まったものじゃなく、自主路線を歩もうとする気概のある政治家が出てくる度、内から外から倒され、従属を選んだ者だけが長期政権をゆるされて 今日にいたっているんだね。詳しい内容・具体的な名前 是非 本で読んで心に刻むべきだ。こういう本こそ教科書であって欲しい。
 むかし、親世代が戦争に駆り立てられ、「欲しがりません勝つまでは」とか「一億火の玉」「銃後の守り」「日本は皇統連綿神国であるから負けることはない」末期には「一人一殺」といって竹槍で上陸してきた敵を殺せと訓練されたとか、なんとあほらしいプロパガンダに のせられてと笑ったけれど、自分もすっかり騙されていたのだと 思い知らされた。政治家に対する工作だけではなく 占領軍は用意周到に 経済界にも 学会にも 官界・ジャーナリズム界にも手をのばしている。逆らえば追放 すり寄れば大きな経済的利益。驚いたのは昭和天皇が単なる象徴ではなかったことだ。マッカーサーとの百回を超す会談・彼への親書で、駐留軍が 日本に半永久的に留まること・沖縄その他琉球諸島の軍事占領の継続を希望する旨伝えている。
 なんと終戦三日目に内務省警備局長は 占領軍の慰安施設の慰安婦を募集、1360名で 大森で開業している。
 東京地検特捜部は、1947年 占領下でGHQのために働く捜査機関として発足。隠匿退蔵物資事件特捜部が前身。米国にとって好ましからざる政治家を 汚職関連事件の摘発と称して失脚させている。(芦田均田中角栄竹下登橋本龍太郎小沢一郎)。過去の特捜部長のなかで布施健(ゾルゲ事件(対米戦回避を模索していた近衛内閣を崩壊させた)下山事件国鉄総裁轢死ロッキード事件に関わった。)特捜部エリートの米国と繋がりの深い人達・・・堀田力、佐久間達哉。覚えておこう。
 8月15日 終戦記念日 っていうの自体 軍部の誤魔化しなんだね。屈辱の1945年9月2日、ミズーリ号上の 降伏文書書名の日こそ 終戦の日と呼ぶにふさわしい。
 日本で原子力開発が始まったのは、第五福竜丸の被ばくをきっかけに日本人が、反米・反原子力に向かうのを阻止するため。中曽根康弘正力松太郎が積極的に推進。なんときっかけは正力の懐刀・柴田秀利の「毒を以て毒を制す」発言で 原子力平和利用使節団が派遣され読売新聞紙上でぶちあげたそうな。
 重光葵 石橋湛山 芦田均 鳩山一郎 岸信介 鈴木善幸 真逆の意味で記憶に留めたい。
 維新の会 どういうつもりのネーミングなのか。明治維新って決して理想的な展開をしたわけじゃない。外国の介入で 兵器を持たされ内乱 それなりの愛国心も構想力もあった多くの人達(西郷隆盛江藤新平土方歳三etc)は殺されている。公家も武士も どちらかというと傍流の 不満分子に 力添え いやらしい下剋上があって・・・。
 重光葵が 決死の覚悟で 覆させた 当初米軍が予定してしていた三布告は
「日本を米軍の軍事管理の下に置き 公用語を英語とする」「米軍に対する違反は軍事裁判で処分する」「通貨を米軍の軍票とする」だった。
 60年安保は、岸信介をひきずり下ろさんがため、70年安保は佐藤栄作。いまおもえばなんて馬鹿だったんだろう、あのヘルメット あの角材 必要なしのジグザグデモイラク派兵反対デモは ころっと雰囲気代わり マスコミはほぼ黙殺だった。金管デモも。
 うらやましいのは 1965年カナダのピアソン首相が ベトナム戦争を批判 ジョンソン大統領につるしあげられたが 「たとえ弾圧を受けようと、米国に物を言うべき時はいう」理念は首相がかわってもうけつがれ カナダ外務省ビルは「ピアソン・ビル」呼ばれ 03年のイラク戦争にも最後まで参加していない。

えっつ?

 この頃 犬の体調悪い。去年の夏がこたえた。運動不足で太って足腰にきた。涼しくなって歩いて体重2kg以上をこの半年で減らし、やや筋肉をつけたが以前とは違う。なんでもぺろっと食べていたが、好き嫌いが激しくなって餌が難しくなった。同時に排尿のコントロールがきかなくなって、シートを使いながらも ほぼ三時間おきに日に4・5回の散歩をしている。おむつは歩けなくなったらと。玄関先の階段を抱えて、自転車の出し入れも楽になるのだし斜路をつけるべきか。長時間の外出は出来ないし、あんまり面倒なことは考えたくもないけれど。無関心でいたら、この体たらくだもの。
 東京新聞読んで 吉田輝美のソコトコ聞いて(この三月で終わったが) 孫崎 享(IMEパットで選んだのに)さんの本(「不愉快な現実」「日本人のための戦略的思考入門」「ころばぬさきのツイ」)とか 平井憲夫さんの遺言「原発がどんなものか知ってほしい」読んだり。それにしても 去年の選挙はがっかり。過半数に及ばぬ支持率で 天下がとれるなんておかしいよ。小選挙区制って全然国民の気持ちを酌み取れてないでしょ。せめて有権者一人当たり150円とかいう政党交付金は得票率に比例させて配分すべきでは? そうすれば落ちた候補も次回を期して活動できる。
 文科省教科書検定で 原発の問題点を 書いたり反原発を表明したりは 好ましくないんだって? 
 福島から避難している人たちへの家賃補助を もう打ち切るんだって? 
廃炉に向けての危険な作業は続いている様だし。防護服にベストを重ねても5分で交代しなければならない3号炉。二年目の3.11が過ぎても 仮設の一千トン級のタンク(新たな除染装置が稼働できるようになっても 放射性トリチウムは残り 海に流せない)は林立してる。増え続けて千基。敷地もいっぱい。最近は溶接してるが当初はボルトで留めただけだったしパッキングの劣化もあり3〜5年で危機とか。トラックの上の仮設の配電盤がショートで冷却が止まったりの事故もあったね。海の汚染も心配。海底を泳ぐ魚・河口付近を泳ぎまわっている魚・海藻・貝類・甲殻類。なんてったって今一番の緊急に対処しなければならない問題点。解決も終息もしてないのに? 教育で 現実を受け止めて解決すべき課題に挑戦しゆく気概を持たせられなければOUTでは? 材料無限・再利用可Mg使った電池とか、オオマサガスとか 実現できそうな新エネルギーはいくらも出てきそうだ。送電線や鉄塔が資源になる。地産地消の災害に強いエネルギーにシフトしていけばいいじゃないか。昔とおんなじ手法で企業を強くして公共投資オリンピック呼べば元気になるだろうなんて思考が硬直化してるとしか思えない。
 このへんの市も3・4十年で交換している水道管もそのうち財政難で交換できなくなるとかいっているけれど、インフラ整備も除染も住居を集中させる方が効率がいいだろう。スペインの街で住宅の外壁がぐるっと街を取り囲んでいたがああいうのとか、中国の客家の住居〜厚い土壁で円形〜とか、昔SFまんがの未来都市で見たドームに覆われた街。まずは福島の人たちに そういう街〜病院も学校もあって、シンガポールだったか(ごめん前に書いたような記憶が不確か)ビルの合間でレタス・トマト葉物野菜を栽培、安全な井戸水も確保〜を提供できたら。安心して戻ってゆける。そういう技術 宇宙生活にも繋がっていける 希望が持てるはず。また聞きだが福島で作業にあたっている大手建設会社の社員がいうには、緻密に計算 遠隔操作の機器を使い細かい部品一つ落とすことなく時間のロスを最小限に いま廃炉のノウハウを蓄積中です 30年はかかりそう との事。
 このへんの道路は狭い。もう、道路も将来整備にかかる費用も考えて計画的に造らないと。車も住み分けさせて そのほうが事故も少なかろう。軽自動車や自転車がダンプと走っているのっておかしくないか? 大型トラック・バスが走る長距離輸送道路、小型トラック・乗用車の走る道路、上限時速15キロで自転車トゥクトゥクの走る市街道路。それぞれ舗装のグレードをかえたらいい。
 原発廃止に横槍いれるは、米議会承認なしには日本を守るための出動なんかしてくれない事明白のオスプレイが低空飛行で6ルート東北から南西諸島まで飛ぶは、TPPでは、自国のトラック・乗用車の関税保持で、ISD条項・ラチェット条項・NVC(無違反提訴条項)のおかげで他国の法律は踏みつけ放題。安倍さんの愛国心て 常人にはわかりません。 

iいろいろ 11

 子供に指摘されて間違いに気がついた。民主党に投票してチェンジを望んだ国民が、わずか一年で長年の保守政権の腐った病根を絶やせるわけもないのに大マスコミの悪意に満ちた報道に扇動されるように、次の参議院選挙で自公を勝たせた。結果 民社党は分裂、ねじれで自公の望む法案しか通せなくなって現在の自民寄りの勢力があるんだった。もともと、原発を設置してうまい汁をすったのは自民党郵政民営化グローバル化だと国民の不利益承知で改悪してきたのが自民党、死に体の自民をしっかり裏支え、都議会で32万人の署名を踏みにじったのは公明党。もとの自公が望ましいわけでもなく、いいとこが抜け落ちた民主でもなく。政党の中にもむしろ好ましい部分もあり、いっそ政策で投票できたらいいのに。かといって、意思表示はしないと 死に票にしたらだめ。
12歳になって飼い犬が、足をひきずって歩きだした。最初は左前足。軽い短期間からちょっと長引いて、医者に診せたら骨折ではなく齢のせい・体重のせいといわれた。今日は左後ろ脚。そういえば 今年の長くて暑い夏の後半はあまり散歩にいきたがらなかった。3.11以降 2年続けて房総の海に行かなかったが 今年の夏 行っといてやればよかった。ここ三年 冬はスキー場と温泉のある雪山に連れて行くと、肩まで雪に埋まりながらも、頑張って歩いてたのに。 あとで必ず調子が悪くなるくせに ちょっと体調がいいと フリスビーでもボールでも笹っ葉こでもやって遊びましょうって アピールしてくる。こんなに素直こんなに健気な犬の時間は短い。
 アイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」とそこにでてくるロボット{ダニール}がでてきてソラリス・オーロラ・地球 銀河帝国以前の様子がうかがえる「はだかの太陽」「夜明けのロボット」を読みました。アシモフは若いころ科学随想を読んで面白かった記憶があるけれど。銀河帝国ってタイトルがどうかと思って避けてたが、面白かった。心理歴史学で未来を想定、戦争の混乱を最小限にするため第一ファウンデェーション・第二ファウンデェーションで歴史に干渉。第一は思いっきりの科学技術中心の情報の星、第二は隠された他者の精神に干渉可能な者たちで構成されていて。で。人類の未来を一人の人間が選択。星まるごと、植物・動物にいたるまで意識を共有している星が選ばれる。長命なヒューマノイド型ロボットが、公平無私 人類にとって望ましい未来を築こうという人間をサポート。ちょっとズルっぽいけど。
 アフリカの農民相手に種や肥料を買う為の少額の資金を貸してくれる金融機関があり、補助金漬けの欧米の農産物援助は 地元農民の作物を買い上げてからされ、公正な取引のための市場ができ、農産物を運ぶための道路も整備され、国境を越えて流れる川の水利も調整され、自分たちで補修できる小規模ダムもでき、作物を売ることの出来た農民が「来年は、畑を倍にひろげます。子供に教育をうけさせたいから。」と言うのを聞いてもすなおに喜べない。無人の荒野ってわけじゃない。土地所有に関心のない遊牧民族・生存領域が狭められても抗議の出来ない野生生物 滅びよというのか? かってに国境線はひかれているし、「タックスヘイブンの闇」のさいしょにでてくるガボンの豊かな地下資源は、一部独裁者とこれを守る旧宗主国の政治家の資金源になっているようだ。インドでは生息域を狭められたゾウの群れ 人を襲うようになったメスゾウが射殺されたとかきくとかなしいのだが。
 
 

なめられてる?

外国に? 中国・韓国・ロシアに? 一番なめてるのはアメリカでは? おともだちの災難に請求書、米兵の犯罪は検挙も起訴もめっちゃ低くやりたい放題、原発廃止の閣議決定を押さえつけて止めさせる内政干渉
 内政では復興予算の使途を見りゃわかるけど政府は官僚になめられてる。
 なにより国民がなめられてる。公約もマニフェストも軽く見られてるよね。国民の意思って別に選挙だけじゃない デモだってそうなのに、 地下鉄の出口封鎖したり、警察車両で分断したり、国民の意向なんて知ろうとなんかしてなかったよね。領土問題って 原発事故で生活を破壊され住いを追い出される あれは自ら領土を狭くしてるよね。日本全国 風光明媚なところに 原発・核関連施設 北は北海道から九州まで。
 今日 CCTV大富みてたら 反日の学者が出てて、めちゃくちゃ反日感情をあおってた。編集された映像とあいまって強烈なインパクト。何処にでもいるんだね。戦争したい向きの意向を酌んで発言する人が。石原前都知事もそうだが。あんな放送に惑わされないで欲しい。松本清張「日本の黒い霧」を読んでみてください 特に下巻。戦後の様子がよく解る。戦争成金・政官業の癒着ぶり、戦争犯罪者の公職復帰。一億総懺悔だなんて よくいうよ。まだ青春時代を戦時におくった母も義母も健在。戦争なんて!

いろいろ⑩

「ポリティコン」(桐生夏生)読みました。理想を持って共同体生活をはじめた集団の三世代目の話なのだが、現代の社会問題の縮図のようで面白かった。自分も年寄りの仲間と思うので言わせていただくとやな年寄りが結構出てくる。すでに理想は置き忘れられ腐敗堕落し、若者は流出 老齢化が進み第二世代が集団を維持するのに何が必要か考えることを辞め 自分の事にかまけて、次の世代を育てることを怠っていて。三世代目はある意味改革をもたらすのだが、あまりにえげつなく意地汚く(二世代目の下手な模倣ともいえる)最後は集団から排除される。それでも若さゆえ再挑戦、新天地を北海道に。振り回され振り回したかつての少女と共にという明るいお話??。道州制とか地方自治体が、地元に根差したテコ入れで、日本を改革。再生可能エネルギーの利用もそっちからしか出来なかろうが。「ポリティコン」でわかるのは、どういう社会を目指していくのかビジョンがいる。(そういうのがほんとの暮らしだよね。そういう社会にしたいよね。と、共感・同意できる。)それに、教育は社会の責任だろう。社会を維持するにどんな職種がどれだけ必要か 保守点検・安全の為の仕事も含めて 必要な知識・技術を必要な人員に身につけさせるのは社会の費用でやるべきだ。(国で基準を緩めたせいで弁護士が余ったとか医者が余ったとかもったいない。大学は出たけれど就職難。なんという無駄。少子化で親は金を掛けたが?って ほんとうにもったいない。)ちゃんと技術を受け継ぐための熟練者による指導も(年寄りが死に絶える前に)社会が責任もってやるべきだろうし。
 ところで、家っていうのは消耗品 はてしなく費用・労力を要する。手に入れてそれで終わりじゃない。地震で壁にひびがはいって、屋根瓦が割れたりずれたり。そうでなくても目地や屋根・壁の塗装が劣化して、かびたり水が滲みるようになったり。このあたりは建売団地で、2〜3十年て とこだけど、2回目の塗装をしているとこも、立て替えているところもある。購入する時は30年・35年のローンを組んで、終の棲みかと思っても下水施設に水回り。軒の深さも建蔽率のせいで制限されるため(狭い敷地に居住部分を広くとりたい建売故 風土気候にあっておらず)テラスに、ポリカの屋根をつけたり、デッキをつくったり、5年10年毎に白蟻駆除の消毒頼んだり、狭いとはいえ庭は1カ月も放置すれば雑草が伸び放題、生垣は最低でも年に1度は剪定が。で、「東京0円ハウス」(坂口恭平)読みました。要は自作の家。都市で拾った材料使って、川の土手などに撤去も簡単(年に一度必要)再構築も簡単な家。したがって手入れも簡単。これはさすがに一万円で購入してきた ソーラーパネルを立て自家発電している人も。自動車用バッテリーを電源に使っている人の方が多そうだが、カセットボンベで煮炊きして、別段100Vでなくたって大概の電化製品が使えてて、施設に収容されたり死んだりすれば、さっさと次の人が利用する。合理的。しかも独創的で。ジブリ映画「借りぐらしのアリエッティー」を思いだした。自然描写の美しさが印象に残ったアニメだが、古い屋敷に棲みついた小人一家の暮らしの工夫、お父さんの作った道具のあれこれが楽しくて、一種の採取狩猟生活ってとこが0円の人たちと似てるとおもった。ストレスフリーで生き生きしてて・・・。(わざわざ人間の男の子を病気に設定しなくても)。こういうのこそ生活だよなと思う。私たちこそ、自然からあれやこれやをお借りして暮らしている。つつましく最低限生活に必要なだけお借りして、「ありがとうございました」と感謝してそっと去っていきたいものだ。虫の脚を喰い、モモンガマントで滑空する男の子もよかったなあ。